　ザルドニア共和国の貧民街パプシャンに、

この地区にしては少し大きめな酒場があった。提供される酒の質は他の店と大差ないが、この店が他より賑わいを見せているのは、誰もが気軽に出し物を楽しめるステージがあったからであり、その店の娘が「小さいなりに大人顔負けの舞いを舞う」というふれこみがあったからである。

　聡明な顔立ちで、くるくるとよく働く。

　酒場を切り盛りする母は、今でこそ引退してしまったが、王都でも一応名の通った踊り子だった。

　そのこともあり、ルルーミアは物心ついたころから、店の楽団が奏でる曲に合わせて舞いを披露する毎日を過ごす。

　気が付けば、流浪の吟遊詩人の伴奏でも、旅の舞姫との共演でも難なくこなせるまでの技術を身につけた。

「音も人も、呼吸。呼吸を掴めばあとは流れに身を任せればいいの」

　ということになるらしいが、それだけで舞えるのであればだれも苦労はしない。

　しかし。ルルーミアが十歳になった時。運命は狂い始める。

　母が流行病で倒れ、そこへ薬を分けてくれるという男の言葉に騙され、気付けばルルーミアは奴隷商の檻の中にいた。

　思考が追いつかないほど、あっという間だった。

　ルルーミアは美しい容姿をしていた為、ガーレン街（上級市民専用商業区）の会員制オークションで、高級奴隷として売られる。

　ルルーミアに最高額をつけたのは黒いマントを着込んだ強面の男で、隣国トルメドニア王国のシルケス・グアノルト将軍であった。

　ルルーミアは、トルメドニア王国第2王女レスティア・イント・トルメドニアに瓜二つであり、年齢も同じであることから、王女の影武者として、またトルメドニア王国の特殊部隊GARNELETT（ガーネレット）の一員として数々の教育を受けさせられる。

　この教育は齢十程のルルーミアには辛いものであり、何度も逃げ出そうとした。

　しかし、左の二の腕に刻まれたれた黒い蜂の紋章の効果なのだろう。どこに行ってもすぐに見つかってしまう。

　逃亡が失敗するたびルルーミアと同じチームのガーネレット全員に罰が下されたため、他のガーネレットから暴力を振るわれることもあった。

　何度目かの逃亡が失敗に終わった時、ルルーミアはシルケス将軍のもとに呼ばれる。

「お前は何のために生きるのか」

　無言で答えるルルーミアに将軍は続ける。

「目的のない生は死んでいるのと同じだ」

　その独房の隅には、キラリと光る何かがあった。

　無造作に置かれた短刀だった。

　ルルーミアは、震える右手で短刀を握る。

　風の噂で母の店は潰れたと聞いた。その母の元へ行けるのであればと、左手の手首に刃を当て、一瞬の躊躇のあと、それでも勢いよく短刀を引き下げる。

　パッと目の前に鮮血が広がる。が、それだけだった。短刀によってつけられた赤い線は、じわりと消えていく。

　その後も震える手で、何度となく、体の至るところに傷をつけるが、左二の腕の黒い蜂の紋章が熱をもったかと思うと直後体の傷は跡形もなく消え失せる。

　空虚な痛みだけが、そこに残った。

　逃げたくても逃げられない。死にたくても死ねない。

　それならこの地獄で生き延びるしかない。絶望を越えて･･････。

　それが十歳の少女の悲痛で残酷な決意であった。

　数日後グアノルト将軍が再びルルーミアの元を訪れた時、強面の将軍は再度問う。

「お前は何のために生きるのか」と。

と、睨みつけるように答えるルルーミアに、将軍は満足そうに笑う。

「お前の『生きる』とはどういうことなのか、俺にみせてみろ」

　それからのルルーミアはガーネレットの教育プログラムを貪るようにこなした。

　そして皮肉にも、将軍の行動によって目的を得たルルーミアが操る短剣の動きは、より美しく、より鋭く研ぎ澄まされていった。

　そして、自らの身体能力を限界まで引き出した剣術を、まるで舞踏であるかのような所作で相手を翻弄した上で命を確実に奪うという独自の舞闘術へと昇華させるに至る。

　仲間は何時しかルルーミアが戦う姿を”女王蜂の舞い”と呼ぶようになった。

　ガーネレットとしての教育が終了した後は、第二王女の影武者としての教育が細部にわたって徹底して行われた。ルルーミアが成人近くなる頃には、ルルーミアと第二王女の区別が出来なくなっていた。

　そしてある時、美しく成長したルルーミアに、シルケス将軍から重要任務が下された。

　”エルゼスト王国国王の暗殺”、だ。

　ルルーミアは、トルメドニア王国第二王女レスティア・イント・トルメドニアとして、エルゼスト王国国王に嫁いだ。

暗殺対象は、そのレインハーミル・クレメ・エルゼスト国王。若く美しい王だった。

これは、表面上はトルメドニア王国とエルゼスト王国との国交樹立のための、いわゆる政略結婚である。しかし、トルメドニアの思惑は別のところにある。そうでなければ、影武者のルルーミアがあてがわれるわけがない。

　国を挙げた結婚式は滞りなく終わり、夜が訪れる。

　しかし、ルルーミアの緊張をよそに、レインハーミル国王は王妃である彼女の寝所を訪れなかった。

　明くる日も、その次の日も。

　それどころか国王は極秘裏に離宮に移り住み、王妃に扮したルルーミアから一定の距離を置いているという情報も入ってきた。

　シルケス将軍から任務遂行の催促の暗号文が届くようにもなったが、警備が厳重で動けない。

　しかし、その時は来た。レインハーミル国王がルルーミアの寝所を訪れた。

　この瞬間のために、これまでの自分があった。

　窓を背に、レインハーミルを見つめて立つ。

　緊張を押し殺すルルーミアに、レインハーミル国王が問いかけた。

「レスティア姫、あなたは何のために生きるのですか？」と。

自分は間違いなく疑われている。そうでなければ、これだけの間距離を置かれた事への説明がつかない。どこで間違った？情報が漏れたのか？いや、今はそんなことはどうでもいい。この問いに答えなければ。

　そしてこの問いへの答えは知っている。

　ルルーミアは、かつて本物の王女レスティアが答えた言葉を、僅かな微笑みと共に伝える。

「私は、レインハーミル様と、エルゼスト王国の為に生きるのです」

【短編小説】ガーネレット ”ルルーミア・ルーセント” 過酷な始まり～未来へ

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